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トークネットのコミュニケーションマガジン

工業デザイナー/KEN OKUYAMA DESIGN代表
奥山 清行 氏(おくやま きよゆき)

プロフィール
1959年、山形市生まれ。ゼネラルモーターズ社(米)チーフデザイナー、ポルシェ社(独)シニアデザイナー、ピニンファリーナ社(伊)デザインディレクター、アートセンターカレッジオブデザイン(米)工業デザイン学部長を歴任。フェラーリ エンツォ、マセラティ クアトロポルテなどの自動車やドゥカティなどのオートバイ、鉄道、船舶、建築、ロボット、テーマパークなどのデザインを手掛ける。

「東京オフィス」
東京都渋谷区神宮前2-27-14
「山形ファクトリー」
山形県山形市東山形2-13-3
「御殿堰ショップ」
山形県山形市七日町2-7-6
「ロサンゼルスオフィス」
「イタリアオフィス」
http://www.kenokuyamadesign.com/

“フェラーリをデザインした男”が説く
地方から世界へ発信するモノづくり

世界を舞台に活躍する工業デザイナー、奥山清行さん。
日本・アメリカ・イタリアを拠点に活動する、その行動力の原点は何なのか。
そして、故郷・山形の職人の技を世界へ発信し続ける意味とは。
海外で挑戦してきた奥山さんに、世界で通用する仕事術とモノづくりへの思いについて伺いました。

選択と決断で実績を積み上げる

大学卒業後、カーデザインを学ぶため、1982年にアメリカに渡った奥山さん。その後、帰国するまでの四半世紀、アメリカのゼネラルモーターズ社、ドイツのポルシェ社、イタリアのピニンファリーナ社といった、世界を代表する車づくりの現場で働いてきました。

「その都度、YESかNOの選択と、挑戦の繰り返しでした。その中で、『迷ったらトライする』こと、『常に向上心を持つ』ことが必要だと学びました。まず、自分の仕事を好きでいられることが大切なんです」と振り返ります。

プロの仕事を知る“運命の15分”エピソード

「イタリア人以外で初めてフェラーリをデザインした男」。奥山さんを紹介する時、よく使われる言葉です。どのくらい凄いことなのか、『奥山清行』というデザイナーを紹介する上で、欠かせないエピソードがあります。

ゼネラルモーターズ社を退社した奥山さんは、1995年にイタリア最大の自動車デザイン・製造会社であるピニンファリーナ社に入り、デザイナーとして仕事をしていました。2002年、フェラーリ社が創業55周年を迎える時、創業者の名前を冠した記念モデルを発表することになり、ピニンファリーナ社がデザインを委託され、そのプロジェクトに奥山さんも参加しました。

「実は、チームで考え抜いたデザインは良いものではなかったのに、誰も言い出せないまま、フェラーリ社の会長を迎えることになってしまったんです。一度提出した案は否決され、会長がヘリコプターに戻るまでに残された時間は15分。この最後の15分で描き上げたスケッチは、まさに渾身の1枚です。帰りかけていた会長に仕上げたスケッチを見せ、『やればできるじゃないか』と言われた瞬間のことは、生涯忘れないと思います」

この、特別モデル「エンツォ・フェラーリ」の誕生エピソードには、裏話があります。

「私はチームで進行中のデザインとは別の絵も、ひそかに描き続けていました。上司はそのことを知っていて、部下を信頼し社運をかけてチャンスを与えてくれたのです」と奥山さん。

人生を決めた15分の前には、それこそ何千、何万枚ものデッサンがあったのです。

「来るか来ないか分からない“その日”のために、常に準備をしているのがプロであり、そこがアマチュアとの違いです」

長年、海外の第一線のデザインの現場で活躍してきた奥山さんの言葉には、説得力があります。

世界へ発信する山形のカロッツェリア

2006年、奥山さんはピニンファリーナ社を退社し、故郷の山形市に「株式会社KEN OKUYAMA DESIGN」を設立しました。

「当初はイタリアに作ることや、アメリカで続けることも考えました。しかし、デザインというのは、デザイナーのバックグラウンドが非常に大切と考え、やはり自分のルーツは日本であり、生まれ故郷の山形に戻るのが自然だったんです」

奥山さんはピニンファリーナ社に在籍中、山形のものづくり企業と「山形カロッツェリア研究会」を立ち上げ、商品開発に取り組んでいました。

「カロッツェリアは、特別注文で車を製作する中小企業の自動車工房で、イタリア的なものづくりを代表する言葉です。その仕組みを山形のものづくりに活かそうと考えました。山形鋳物の菊地保寿堂、木工家具の天童木工や多田木工、手織りカーペットのオリエンタルカーペットなどがメンバーとして参加してくれました」

そして2006年、この山形の高いレベルの技術を世界にアピールするため、フランス・国際インテリア見本市「メゾン・エ・オブジェ」に出展。「山形工房」と名付けられたブースに展示された作品は好評を博しました。

当時、東京ではなく地方から世界に発信するという発想は少なく、注目を集めました。

「イタリアなどでは地方の会社が大都市を経由しないで直接販売を行います。市場からの情報は、ものづくりにとってとても重要であり、市場からすると、実際に作った人との話は興味深いのです。機能性や値段だけでなく、背景やストーリーが非常に重要で、価値をさらに高めます。だから、日本も東京を経由しないで、実際に作った地方のものづくり会社が、直接発信する方が『こだわり』や『価値』が伝わると考えました」

もう一つの肩書き“社会システムデザイナー”

奥山さんは、工業デザイナーの肩書きのほかに、「社会システムデザイナー」とすることもあります。

「例えば料理は、食材を作る人、調理する人、食べる人に分けられます。どんなに良い食材でも、食べる人に届かなければ意味がない。食材の良さを活かして調理するのが料理人であり、デザイナーはその役割を担うものと考えています。だから、ものの開発・製造・販売まで、トータルでプロデュースするのが、社会システムデザイナーです」

作るものに惚れ込み、つながりを大切にする

「ものを作る時は、必ず自分でも実際にお金を払って使ってみて、何がお客さまに必要とされるかを評価するのを絶対条件としています」と奥山さん。暮らしの豊かさは、置かれている状況や環境によって、求めるものが変化します。

「デザインが決定してから製品化されるまで、数年から数十年かかることもありますが、自分たちの作るものは、流行に左右されず愛されるものであってほしい。だから本気で惚れ込んだものを作らなければいけないんです」と力説します。

現在、山形・東京・ロサンゼルスを拠点に、デザインコンサルティングのほか、オリジナルのワンオフ車や眼鏡、インテリアプロダクトの開発から販売まで行う奥山さん。新潟県燕三条の金属器や、福井県鯖江の眼鏡とのコラボレーションのほか、2013年から2016年までは、有田焼開窯400周年の記念事業プロジェクトのプロデューサーを務めました。また、2013年に発表された近未来的なデザインのトラクターは大変な話題となりました。

鉄道では、山形新幹線(E 3系)・秋田新幹線(E6系)・ 北陸新幹線(E7系)などの デザイン、クルーズトレイン「TRAIN SUITE四季島」のプロジェクトに参加。地域の地場産業を活かしたコンセプトの車両デザインを手掛けました。

「新しいところでは、電車の実績が航空会社のエアバスの仕事につながっています。まさに仕事が仕事を生んでいるわけですが、改めて人と人がつながってきた結果だと実感しています」

奥山さんのものづくりへの探求と挑戦はまだまだ続きます。

◎TOHKnet25周年にちなんで、奥山さんの25年前と25年後について伺いました。
 「1992年は、ポルシェ社からゼネラルモーターズ社に戻り、研究所の副所長をしていた頃。次の挑戦に向けていろいろ考え悩んでいた時期です。
 2042年は、あまりイメージできないですが、その時々で自分なりに考え、選択し決断したら実行する人生を歩んでいると思います」

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vol.21 2017
(PDF 11.4MB)

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