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トークネットのコミュニケーションマガジン

玉川堂

新潟県燕市中央通り2-3064
TEL.0256-62-2015
HP.http://www.gyokusendo.com/

類いまれなるものづくりの技と心

新潟県のほぼ中央に位置する燕市は江戸時代から金属加工業のまちとして発展してきました。
一枚の銅板を叩いて作り上げる鎚起銅器の技を200年にわたり代々守り伝える「玉川堂(ぎょくせんどう)」。
「用の美」が生み出される、ものづくりの原点を訪ねました。

時代とともに発展積み重ねてきた燕の技

深みのある独特な色彩と輝き。洗練されたムダのないフォルム。しっくりと手に馴染むその感触。一枚の平らな銅板を職人が槌(つち)で打ち、成形していくことで命が宿り、急須や器などの生活用品となる鎚起銅器。手仕事の原点ともいえる鎚起銅器の歴史をひも解くと、江戸時代までさかのぼります。

仙台の渡り職人が技術を伝えたことから始まったとされ、弥彦山の良質な銅にも恵まれ一大産地となりました。明治期に入ると、美術工芸品としての地位を確立するまでに。この技術を初代玉川覚兵衛以来、長きにわたり継承してきたのが「玉川堂」です。

「銅を叩いて伸ばすのではなく、叩きながら縮めたり丸めたりして形にしていきます。出来上がりは職人の頭の中にある。ですから仕上げまで一人の職人が作ります」と工場長の玉川達士さん。広さ40畳ほどの作業場には、職人たちの鎚の音が響いています。現在、職人は15名。20代や30代など若い世代も増え、ベテラン職人を師匠に切磋琢磨しています。

幾重にも繰り返す妥協のない手仕事

銅は一度叩くと硬くなるため、火炉(かろ)で熱し水に漬けて柔らかくする「焼き鈍し(やきなまし)」という作業を行います。叩く、そして焼き鈍す。この作業を、数多ある道具を駆使しながら繰り返すことで成形。出来上がりまで一つとして妥協の許されない、とてつもない集中力と根気、技が要る作業。一人前になるまでには20年から30年かかるといいます。

「作るものによって技も異なるので、一度もその技を経験しないまま終わることもあります。自分なりに技を身に付けたいと思えば、努力と忍耐ですね」。職人の世界に終わりはありません。

人間国宝の父、玉川宣夫さんと同じ道に進み25年という玉川さん。息子さんも玉川堂に入ったばかり。なぜこの道を選んだのか伺ったところ「燕で育ったから何となく進んだだけなんですよ。好きとか嫌いとかじゃなく、当たり前だったという感じでしょうか」。

その言葉の奥には、この地が育んできた「ものづくり」の遺伝子が受け継がれていました。

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vol.03 2013
(PDF 8.0MB)

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