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トークネットのコミュニケーションマガジン

音楽家
榊原 光裕 氏(さかきばら みつひろ)

プロフィール
公益社団法人 定禅寺ストリートジャズフェスティバル協会代表理事。仙台市出身。東北大学工学部卒業後、米国バークリー音楽大学へ留学。1983年に2年間で首席卒業し、帰国後日本で音楽活動を開始。ピアニストとして演奏活動を行うほか、ミュージカルや映画音楽の作曲、音楽監督なども手掛ける。2008年インストゥルメンタルユニット「Happy Toco」結成。2011年「みやぎ音楽支援ネットワーク」を立ち上げ、東日本大震災の被災地への楽器寄贈や音楽支援活動にも力を入れている。

公益社団法人 定禅寺ストリートジャズフェスティバル協会
宮城県仙台市青葉区国分町3-8-3 新産業ビル304
TEL.022-722-7382
HP.http://www.j-streetjazz.com

音楽でつながる仙台の街
人が集う求心力のある祭りを作る

1991年にスタートした「定禅寺ストリートジャズフェスティバルin仙台」。
榊原光裕さんは立ち上げ時メンバーの一人で、音楽監督を担当してきました。
一過性のイベントではなく、祭りとして継続的に開催していきたい。
その思いは多くの人と人をつなぎ、今年25回を数えるまでに。
発起人の榊原さんに、音楽活動の軌跡と展望について伺いました。

杜の都の秋を彩る祭りの誕生

「始まりは、現在仙台市の泉パークタウンTapio館長の後藤政彦さんがショッピングビル141(当時)にいらした時、『おもしろいことがしたいのだけど、何かアイディアある?』と声を掛けてくださったことがきっかけです。その頃141ではエル・パーク仙台のホールで小規模なジャズコンサートを開催しており、それを仙台の街角でやったらどうかということになって」

榊原光裕さんが当時を振り返り語ってくれました。このアイディアは、アメリカ留学の体験が大きかったようです。

「ボストンでは、地下鉄の駅でも店の前でもミュージシャンたちが自由に歌ったり演奏したりして、街の風景に溶け込んでいました。マサチューセッツ州では8月にタングルウッド音楽祭が開催されるのですが、その音楽祭はクラシックだけでなく、ジャズやポップスなど多彩なジャンルのコンサートが行われ、市民は寝そべったりチキンを食べたりしながら聴いています。そういう自由なスタイルで音楽を楽しめる機会を日本でも作れたらと思っていました」

方向性が決まるとさっそく実行委員会を発足し、商店街の皆さまに提案しました。

「初回は公園や商店街通りなど演奏できそうな場所を9カ所設定して、音楽仲間に声を掛け、最終的に25組のグループが参加しました。ストリート演奏やステージ演奏のほか、フィナーレは出場者全員による市民広場でのジャズセッションを行い、集まってくれたお客さんにも楽しんでいただけました」

こうして1991年、仙台の街に求心力のある秋の祭典が誕生しました。定禅寺ストリートジャズフェスティバルの大きな特徴は、実行委員会はじめ商店街や企業市民、ボランティアなど、市民の手作りによって実現していることです。

今年、実行委員会から公益社団法人へ移行。榊原さんは代表理事として「市民手作りのフェスティバルを地域の文化発信基地として位置づけ、地域住民の声に耳を傾けながら継続していきたい」と話しています。

仙台の音楽シーンに欠かせない存在に

数々の仙台の祭りや音楽シーンを牽引してきた榊原さん。「仙台・青葉まつり」もその一つで、1987年と1988年に音楽監督を担当。「すずめ踊り」のお囃子を採譜しました。

「仙台・青葉まつりは江戸時代の仙台祭りと、明治から昭和中期の青葉祭りを起源としています。2014年に仙台青葉まつりが30周年を迎えた際、『仙台木遣り』の復元事業にも携わることができました。仙台祭りで唄われていた仙台木遣りの楽譜が発見され、譜面の解釈を依頼されたのです」

仙台木遣りは今年も山車が集結する要所要所で唄われました。今、祭りの力というのを改めて考えているという榊原さん。

「コミュニティーが動いていくためには求心力になる祭りが必要で、その祭りをしっかり作り、続けていくことが大事だと思います。仙台・青葉まつりも定禅寺ストリートジャズフェスティバルも、その成果として現れている気がします。祭りを作ることを今後のライフワークにしていきたいですね」

人との出会いとつながりを大切に

自身の音楽を表現するだけでなく、その先のつながりや広がりに結びつく仕掛けを考えている、榊原さんの音楽活動の原点はどこにあるのでしょうか。

「音楽は子どもの頃から好きでした。当時、家にピアノはなかったですが、中学校でも高校でも先生が放課後、自由にピアノを弾かせてくれて、そのことが音楽をする上で一つの軸になっていると思います。バンド活動は中学生の頃から続けていて、大学時代に大きな出会いがありました。NHKの番組の中で、さとう宗幸さんのバックでピアノを弾く機会があり、それが縁で『青葉城恋歌』をレコーディングする時に東京のスタジオに呼ばれて演奏させていただいたんです」

さまざまな出会いと経験を通して、榊原さんは本格的に音楽を勉強することを決意。大学卒業後、バークリー音楽大学に留学しました。帰国して、仙台を拠点に音楽活動をすることを決めた榊原さんにとって、思い出深い作品が1986年の『交響詩SENDAI「杜/たゆとう時の音」』という劇場パフォーマンス作品。

「“縄文から現在に至る時の流れ、東北という土地„がコンセプト。古代楽器を復元制作して、縄文音楽を再現しようというものでした。オーケストラ、ジャズ、県内の神楽や和太鼓によるコンポジションです。この作品がきっかけで、多方面からお声掛けいただくようになりました」

次世代につなぐ音を表現するエネルギー

榊原さんは2008年に「Happy Toco」というジャズユニットを結成。

「世界のいろいろな音楽を自分なりに表現してみたいという思いが以前からあったんです。民族音楽やロック、ポピュラーなどの起源となるエネルギーを醸し出す表現ができれば」

活動を精力的に行っていた時、東日本大震災が起こりました。榊原さんは「みやぎ音楽支援ネットワーク」の発起人代表になり、被災地へ楽器の寄贈や演奏会などの支援活動を実施。被災地の3校が統合し2013年に開校した石巻市立北上小学校校歌の作曲にも取り組みました。

大学で講義を受け持つ榊原さんは、「今はおとなしい学生が多いですが、内部には沸々とエネルギーが湧いているのを感じます。若者が次のコミュニティーを作る力になるようつないでいきたい」と、次世代への期待を込めて話しています。

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vol.13 2015
(PDF 10.8MB)

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