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トークネットのコミュニケーションマガジン

株式会社せん 代表取締役
水野 千夏 氏(みずの ちなつ)

プロフィール
大仙市生まれ。神奈川県の大学に進学し、卒業後は化粧品会社に就職。1年後に秋田へ戻り、市内の広告関係の会社に勤務。その後、舞妓の派遣事業を行う「株式会社せん」を立ち上げ、「あきた舞妓」を復活させる。現在、「あきた舞妓」による秋田県の観光PRのほか、日本の文化・伝統を現代にマッチさせた新しい形として魅力を発信する活動も進めている。

株式会社せん
秋田県秋田市千秋公園1-3 松下
TEL.018-827-3241
あきた舞妓 http://akitamaiko.com
松   下 http://www.matsushita-akita.jp

人の心を味方に思いを実現
「会える秋田美人」で魅力を発信

「秋田の魅力を全国に発信して、人が訪れる仕組みを作ろう」。
その思いを胸に「あきた舞妓」復活に力を注ぎ、舞妓の派遣事業を展開する
株式会社せんを立ち上げ、社長として活躍する水野千夏さん。
外に出たからこそ分かる秋田の魅力を、舞妓を切り口にどのように発信し、県内外から人を呼ぶのか。
秋田への思いとともに伺いました。

千秋公園に誕生した“旧料亭”の観光拠点

秋田市のシンボルとして市民に親しまれている千秋公園。四季折々の景色は、訪れる人の目を楽しませています。敷地内には、大正初期に創業した「割烹 松下」が老朽化して空き家のまま残っていました。

その建物が改修され、2016年6月に「あきた文化産業施設 松下」として新たに誕生。メインスペースは2階80畳の座敷で、障子と畳以外は割烹時代のものをそのまま残しています。この大広間は「あきた舞妓劇場」で、演舞鑑賞や記念撮影など、あきた舞妓と交流しながら、秋田の文化に触れることができます。1階入口から2階劇場まで続く長い廊下には、「川反芸者」や昭和30~40年代の秋田市街の様子が分かる、当時の貴重な写真が展示されています。

あきた文化産業施設には、茶寮と酒房も併設。茶寮では、コーヒーを中心に抹茶やラテ、トーストなどの軽食が楽しめます。立ち飲みスタイルの酒房では、秋田県内すべての酒蔵の銘柄を揃えており、日本酒好きには嬉しいスポット。地酒を嗜みながら、秋田の酒文化を感じることができます。

始まりは若き起業家の秋田への思い

この「松下」再生と「あきた舞妓」の仕掛け人が、株式会社せんの代表取締役である水野千夏さん。20代の女性社長が取り組む事業としては大掛かりですが、ここまでの道のりは意外に早く進みました。

「神奈川の大学に進学し、卒業後は都内の会社に就職しました。1年間勤務して、都会で暮らし続けることに疑問を感じて秋田に戻りました」

水野さんが故郷で目指したのは、起業して社長になることでした。

「秋田に戻った後、勉強のため、5歳年上の方が起業した広告関係の会社に就職したんです。そこで営業を任され、さまざまな業種の方のお話を聞く機会を得ました」

その中で、水野さんは起業の方向性を固めていきます。

「皆さん熱い気持ちで仕事に取り組み、秋田にはおいしい食べ物や素晴らしいサービスがたくさんあることを知りました。ただ、売り方や伝え方が消極的な気がしたんです。私は“秋田” そのものを発信する会社をつくりたいと思いました」

ここから水野さんの行動力が発揮されます。

「まず人脈をつくることが大切だと思い、営業先や仕事で知り合った企業の方たちに、名刺を1000枚配ることを目標に掲げ実行していました」

秋田美人の産業化と「あきた舞妓」の誕生

名刺を配って回りながら、水野さんは一つの言葉が気に掛かりました。

「会話の中に“秋田美人”というフレーズがよく登場したんです。ところが、安易に使われている気がしました。それだけ浸透しているということですが、“秋田美人”はもっと文化に根付いたものです。気品のある使われ方をした方が良いと思いました。それで“秋田美人”をキーワードに、秋田を発信する産業化を図ろうと考えました。それが“あきた舞妓”です」

秋田市街を流れる旭川沿いに位置する繁華街は、かつて「川反」と呼ばれ親しまれていました。戦前から戦後にかけては、料亭が軒を連ね、街に華を添えた「川反芸者」のいわれとなった地域です。

「最盛期の昭和初期には200人くらいの芸者が活躍していたと言われています。時代の流れとともに、秋田では芸者文化が衰退し、歴史ある料亭も徐々に姿を消していきました。あきた舞妓を立ち上げるに当たり、さまざまな資料を調べ、当時を知る方々にお話を聞きましたが、秋田になくてはならない文化だという思いが強くなりました」

“秋田美人”を秋田の観光資源とし、言葉だけのイメージから、実体のある「あきた舞妓」として、秋田そのものを発信すること。そして、発信するだけでなく秋田に人を呼ぶ仕組みを作ること。これが水野さんの最初の目標でした。

「会える秋田美人」で秋田の魅力を発信

「人を呼ぶからには、舞妓を含めて秋田を発信する拠点が必要と考えていました」

その思いを形にしたのが「あきた文化産業施設 松下」です。「松下」の再生は水野さんだけでなく、秋田市民の思いも込められたものでした。

「老朽化した料亭の改修には膨大な費用がかかります。そこで宣伝がてら、資金の一部をクラウドファンディングという方法で支援を募ったんです。ありがたいことに目標金額を達成し、支援者の内訳を見ましたら、約9割が秋田の方でした。年齢も職業もさまざまで、その一人ひとりが共感してくださっていることが、とても嬉しかったです」

会社設立から3年目の現在、3名のあきた舞妓が活躍し、2名の見習い生がいます。

「舞妓たちは劇場でのおもてなしのほか、お座敷や宴会、イベントなどに呼ばれて赴くことがほとんどです。舞妓を通して秋田の魅力を感じていただくため、舞妓自身、日々お踊りのお稽古や知識の習得に励んでいます。その成長過程も楽しんでいただけたら」と水野さん。

今後については「『舞妓に会いに松下に来てください』だけでは、県外の方に発信するにはまだ弱いんです。ゆくゆくは、あきた舞妓を切り口に、秋田の周遊観光に結びつくプランの実現を目指します」と、熱く思いを語ります。

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vol.18 2017
(PDF 11.7MB)

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