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天台宗別格本山 毛越寺 貫主
藤里 明久 氏(ふじさと みょうきゅう)

[ プロフィール ]
1950年平泉町生まれ。大学(理学部化学学科)卒業後、毛越寺事務局において法務部長、事業部長、財務部長、執事長などを歴任。2015年4月から貫主代行を務め、2016年8月貫主に就任。

天台宗別格本山毛越寺
岩手県西磐井郡平泉町平泉字大沢58
TEL.0191-46-2331
http://www.motsuji.or.jp

1対1を基本に人から人へ
「平泉の心」を伝承し、守り続ける

世界遺産「平泉」の構成資産の一つ「毛越寺(もうつうじ)」は、奥州藤原氏二代基衡、三代秀衡により造営され、800年以上の歴史を 積み重ねてきました。執り行われる年中行事をはじめ、祭りや芸能を伝承していくことの意義と、文化財の役割について毛越寺貫主(かんす)の藤里明久氏に伺いました。

世界遺産平泉の構成資産「毛越寺」

2011年6月、「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」として、世界遺産に登録されました。平泉が世界遺産に登録されたのは、乱れた世の中が平和になるようにという、浄土思想の考えが根底にあります。

「毛越寺」は、中尊寺・観自在王院跡・無量光院跡・金鶏山と並び、世界遺産の構成資産の一つです。約800年前、奥州藤原氏が造営した当時の建物は現存していないものの、遺跡が良好な状態で保存されていることから1952年に特別史跡に指定。平安時代の庭園造りの秘伝書『作庭記』に忠実に造られた浄土庭園は、1959年に特別名勝に指定されました。

「世界遺産に登録された頃は、東日本大震災の3カ月後なので、お祝いムードではありませんでした。しかし、被災された沿岸地域の方々も喜んでいることや、庭園を眺めて癒やされたことなどを伝え聞き、今まで以上に文化財が持つ大きな力を感じるようになりました」と、毛越寺貫主の藤里明久氏。5月に催される「春の藤原まつり」や、「曲水の宴」で使われる「竜頭鷁首船(りゅうとうげきしゅせん)」は、大船渡市の船大工の方々が、震災の翌年に復興への想いを込めて造ったものです。

外での経験を活かし寺を守る道へ

「平泉は、前九年・後三年の合戦を経て、仏様の力で平和な世の中へ導こうと、藤原氏が800年前に築いた所です。単に文化財を見るだけでなく、心を癒やしたり、平和について考える場所でありたいと思っています」

藤里氏は、十七坊ある毛越寺の支院の一つ「大乗院」の出身。高校卒業後は東京の理系の大学に進学しました。

「当時は高度経済成長の時代で、何か技術的なことを学び、地元で教職に就こうと考えていました。しかし昔の毛越寺は、観光客が大勢訪れるような寺ではなく、父も先輩たちも公務員などの仕事をしながら寺の復興に懸命でした。その姿を見て、復興を押し進めるために寺の仕事に専念しようと決めました」

決断するまでには不安もありましたが、人との出会いや、掛けられた言葉によって、踏み出す勇気をもらったと振り返ります。

「やはり迷った時は悩むことですね。悩むというとマイナスに捉えられがちですが、悩むとは考えることです。たくさん悩むと気づくことがあります。若い時はまだ視野が狭く、気づくまでに時間を要するかもしれません。気づくためには下地が必要なので、人はいろいろな経験をし、悩むことで成長するものです」

毛越寺には、住職以外の仕事を経験した後、寺に戻り務めている僧も多いといいます。

落慶30年を機に本堂の役割を考える

今年6月、毛越寺では本堂落慶30年の記念法要が営まれました。現在の本堂は、平安時代の建築様式を元に、1989年に建立されたもの。丹塗りの柱に極彩色の装飾が施された本堂は、大泉が池、枯山水風の築山、遣水など、平安時代の様式を残す庭園と美しく調和しています。

「1985年頃に、老朽化した本堂を建て替える計画を立て、1989年にようやく完成しました。今回の記念法要は、本堂ができ、改めて地域の皆さまと喜びを分かち合うとともに、今一度本堂の役割について考えたいと思いました。

本堂は祈りの場であり、説法を聴く場であるということ。そのことを十分に心して本堂を活用し、皆さまの心の平安や願いにお応えしたい。そのためには“人材”が大事です。何事にもチャレンジして高みを目指すような新しい人材を育てる“根本道場”として使わせていただく。そうして毛越寺を地域の皆さまとともに守っていくことで、社会に貢献できればと思います」

伝統の行事を伝承するということ

毛越寺には、遺跡や庭園だけでなく、開山以来続いている芸能、祭り、行事など、伝承されてきた無形の文化財もあります。

「正月の14日から20日まで、常行堂で春祈祷が執り行われますが、祈祷が終了する20日に催される摩多羅神(またらじん)の祭りを『二十日夜祭(はつかやさい)』と称し、古伝の『常行三昧供(じょうぎょうざんまいく)の修法』が行われます。厄年の老若男女が、無病息災や家内安全を祈願する献膳上り行列の後、堂内で『延年の舞』が夜半まで奉納されます」

延年の舞と常行三昧供の修法は、国の重要無形文化財に指定されています。

「延年とは、もともと“長寿”の意味です。その後、法会の後に奉納する芸能の催しを指すようになりました。延年の舞は、毛越寺の十七坊の支院の子弟が、中世から代々伝承してきた芸能です。6歳頃から稽古を始めて、声変わりするまで稚児延年を舞い、その後、大人の舞を学びます」

藤里氏は、大学を卒業して寺に戻ってから三十数年、子どもたちに舞を教えてきました。

「身体の硬い子、痩せている子、太っている子など、一人ひとりの個性を生かしながら、伝統の舞をどう伝承していくかが難しいですね。映像を見せてこの通りにしなさいと言うわけにはいかないのです。一番の伝承は、一対一を基本に向き合い、人から人へ教えることです」

建物や美しい庭園とともに、伝統の行事を通じて、多くの人が平泉の文化遺産に触れる。心の平安を求めて訪れる人たちに、「平泉の心」を伝えていく。それが、有形無形の文化財を守ることにつながっているのです。

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