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トークネットのコミュニケーションマガジン

棟方志功研究家
石井 頼子氏(いしい よりこ)

[ プロフィール ]
1956年、棟方志功の長女・けよう氏の長女として東京に生まれる。大学卒業後、鎌倉市の棟方板画美術館(2011年閉館)に学芸員として勤務。近年は展覧会監修、執筆活動、講演などを通じ、知られざる棟方志功を伝える活動を行う。著書に『棟方志功の眼』(里文出版)『言霊の人 棟方志功』(同)『もっと知りたい 棟方志功』(東京美術)など。日本民藝館運営委員。

日本民藝館
東京都目黒区駒場4-3-33
TEL.03-3467-4527
http://www.mingeikan.or.jp

故郷・青森を愛した芸術家
板画の道を拓いた芸業を後世へ

「板画」(はんが)は板から生まれる板による画(え)であり、「板の命を活かす」芸術と捉え、
数々の作品を生み出した世界的芸術家・棟方志功。創作活動は板画のほかに
倭画(やまとが)、油絵、書など多岐にわたり、故郷青森をテーマにした作品も数々あります。
故郷への想い、板画への想い、創作にかける想い…。棟方志功の想いと作品を
後世につなぐ活動をされているお孫さんの石井頼子氏に“知られざる棟方志功”について伺いました。

芸術家・棟方志功の家族として、研究家として

1956年、初孫の石井頼子氏が誕生した年、棟方志功は「第28回ヴェネツィア・ビエンナーレ」で国際版画大賞を受賞。その前年「第3回サンパウロ・ビエンナーレ」で版画部門最高賞を受賞し、「世界のムナカタ」になっていました。

「祖父といっても53歳とまだ若く、創作に忙しい毎日だったようです。祖母は視力の弱い棟方を支えていましたので、家のことは母がほとんど取り仕切っていました。私は祖父の仕事場に入ったり、制作を見たりと触れる機会が多かったので、自然と興味を持ったのかもしれません。大学で学芸員資格が取れる一貫校に入学した時から、流れが決まっていたような気がします」

石井さんは大学卒業後、棟方志功が生前からその開館を望んでいた、鎌倉市の「棟方板画美術館」の学芸員となり、閉館するまで勤務します。

「学芸員の仕事を始めた頃は、制作年や作品にまつわるエピソードなど、基本情報や事実関係を整理することに留まっていました。しかし、創作の背景や心境、周りの人たちとの関係性などを深く知るようになると、同じ作品でも見方が変わってきました。

例えば、棟方が父親の五十回忌の年に創作した『捨身飼虎(しゃしんしこ)の柵』という最晩年の作品があります。実は49年越しに父親の想いに応えた作品で、下の方に“父に答ふ”という文字が記されているのです。何度も見ていた作品なのに、この文字に気づいた時改めて棟方の原点を知った想いがしました。私にとって印象深い作品です」

師や友との出会いが作品づくりに影響

石井氏は2004年から2006年にかけて全国巡回した日本民藝館70周年記念「魂の板画家・棟方志功展」の企画監修に携わったことを機に、棟方志功研究家として活動しています。

「日本民藝館」は1936年、「美の生活化」を目指す民藝運動の本拠地として、東京・駒場に開設された美術館。開館の半年前、棟方志功が第11回国画会展に出品した、二十図の板画から成る大作『大和し美し(やまとしうるわし)』を、初代館長の思想家・美学者の柳宗悦が買上げたことから、柳らの知遇を受けるようになります。

「創始者の柳先生をはじめ、民藝運動を牽引された陶芸家の濱田庄司先生や、河井寛次郎先生との出会いは、棟方のその後に大きな影響を与えました。先生方を通して学ぶ機会や発表の場を得、人脈も広がっていきました。棟方は、ただそこに居るだけでどことなくおもしろい。“人たらし”なところがあり、誰からも可愛がられたようです。人の悪口を言わず、どんなに偉い人の前でも子どもの前でも態度が変わらないところが一番尊敬できました」と石井氏。

棟方志功の人としての魅力が会う人に強烈な印象を残し、さまざまな出会いにつながっていったのかも知れません。

板画の地位向上のため
後進に続く人のため

棟方志功の創作活動は、板画をはじめ倭画、油絵、書など多岐にわたりますが、特に板画には並々ならぬ想いがありました。

「日展に版画部門を…というのが棟方の悲願でした。浮世絵など日本の版画は、国際的に高い評価を受けてきましたが、国内の美術界での地位はそれほど高くない。洋画部門に付随するものと位置付けられています」

石井氏は、板画家・棟方志功の想いを代弁するように続けます。

「晩年の棟方は権威志向を高め、がむしゃらに突進んでいました。人気の高い女人像を、画商に求められるままに多作し、長者番付に名を連ね、寺社に作品を納め、名声を高めていきます。

版画の地位を向上させるには、まず自分自身が最高峰に立たなければ…と考えていました」

版画の地位向上は、日本版画の道を拓くため、後進の作家につなげるためだったのです。

また、「小・中学生たちとともに版画王国をつくろう」と、「棟方志功大賞 県下小・中学生あおもり版画まつり」(陸奥新報社主催)の審査長を、晩年まで20年以上務めました。

「ドキュメンタリー『彫る—棟方志功の世界』の中に、“私がだんだん立派になるということは、このコンクールが全県に大きく響いて、板画の意味ってものが立派になり、青森の板画が日本の板画になり、日本の板画が世界の板画に伸びていく…”という言葉が残されています」と石井氏。

コンクールは現在も受け継がれ、今年34回目を数えます。

芸術家の想いと作品に寄り添い、伝える

「棟方には、小さくて良いので自分の作品をゆっくり見ていただける場所を持ちたい、という夢がありました。1975年11月に開館した青森の棟方志功記念館や、鎌倉のアトリエの庭に建てられた棟方板画美術館は、まさにそんな場所です。生前、棟方が青森市の担当者に宛てた手紙には、市民が寛げる庭のある記念館にしたい、という気持ちが溢れていました」

石井氏はそうふり返り、棟方志功がどれほど青森を愛していたのかを話しました。

棟方志功記念館は、2013年に閉館した棟方板画美術館を吸収合併。その所蔵作品や資料が移行されたため、棟方最大のコレクションを持つことになり、数多くの棟方作品と市民をつなぐ場所になりました。

「棟方にとって青森への想いはは特別で、どこで何を描こうが、気持ちの根底にあるのは八甲田山であり、酸ヶ湯であり、ねぶた、凧絵…など、故郷の景色や風物です。作品からその想いを感じ取っていただけたら」

石井氏は、「知られざる棟方を再発見するような丁寧な展示会を企画していきたい」と、記憶と膨大な作品から棟方志功の想いに寄り添い、伝える活動を続けています。

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vol.27 2019
(PDF 46.0MB)

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