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堤焼乾馬窯

〒981-3121 宮城県仙台市泉区上谷刈字赤坂8-4
TEL.022-372-3639 FAX.022-372-5829
http://tsutsumiyaki.net

伊達家の御用窯として300年超の伝統を守る

東北の中核都市・仙台。この礎を築いたのは伊達政宗です。岩出山から居城を移し、仙台に城下町を建設したのは1601年頃。政宗を藩祖とする仙台藩が誕生し、独自の文化を育んできました。

堤焼は、元禄年間(1688~1704年)に下級武士(足軽)たちが副業として焼き物を作ったのが始まりでした。四代藩主・綱村が江戸の陶工・上村万右衛門を招いて指導を受け、藩主の茶器などを作る御用窯となりました。窯場が堤町一帯(仙台市青葉区)にあったことから、堤焼といわれるようになり、その後、かめや鉢、皿など生活雑器を幅広く生産するようになりました。

乾馬けんば窯は、仙台に招かれた幕末の陶工・三浦乾也(六代・尾形乾山)に師事した初代が、乾馬の陶号を授かったことに始まります。この時、書き写すことを許された秘伝書「乾山秘書」を基に、伝統の製法を受け継ぎながら、地元の土と釉薬ゆうやく※にこだわった陶器を生み出しました。以来一貫して、仙台の風土に根ざした作陶を続けており、昭和初期には民藝運動の柳宗悦が水甕などを高く評価したことでも知られています。

現在は、五代目の針生乾馬(本名・嘉久)さんと弟の和馬(本名・嘉和)さん、甥の峻さんの3人で窯を守っています。

地元の土と釉薬を使い一つ一つ丹念に作陶

堤焼の代名詞とされるのが、黒と白のコントラストが美しく、ナマコに例えられる模様(海鼠釉なまこゆう)です。釉薬の材料となる岩石や籾殻も地元産で、土も台原(仙台市青葉区)の粘土層から採取したものを使用します。

土造りは最も時間がかかる作業。掘り出した土に水を混ぜ、ミキサーで撹拌かくはんして網で濾し、不純物を取り除いた後、水槽に貯めて数カ月間沈殿させ、上水を除いて土を取り出します。その後、数日乾燥させてから土練機どれんきに通し、むろに移して1年以上寝かせて、ようやく使える状態になります。次に、土を練って固さを均一にし、空気を抜いて土をしめます。食器など小さい器は、主に電動ロクロで成形し、糸で切り離し、2~3日乾燥させます。5分乾き程度で高台を削り出し、その後1週間ほど乾燥させ、素焼きします。釉薬をかけて数日乾燥し、高温で焼き、窯から出して時間をかけて冷まし、高台部分を砥石で削りガタつきを調整して完成です。

唯一の窯元として技を極め次代につなぐ

乾馬窯では、四代目の時から一般の人たちが陶芸を習うようになり、現在も近隣の小学校やサークル活動などから体験教室の予約が入ります。「最近は、外国人観光客からの問合せも増えており、日本の伝統工芸の体験は人気があるようです」と乾馬さん。「今後も、幅広い年齢層や海外の方々にも積極的に堤焼を紹介していきたい」と話します。営業・販売も担当する和馬さんは、「地元の百貨店や土産物店からの注文は、最近、マグカップが人気で、焼き上がりを待っていただくこともあります。お届けした時に、笑顔で喜んでいただけるので嬉しいです」。堤焼は、他にも碗、湯飲み、皿、花器など日常生活の中で、多くの方々に愛用されています。

2013年には、四代目の孫で乾馬さんと和馬さんの甥にあたる峻さんが一員に加わりました。「一般企業に就職しましたが、東日本大震災を機に、本当に自分がやりたいことをしようと決心し、陶器作りを始めました」と峻さん。作陶には正解がないといい、釉薬の研究をはじめ、自分なりの堤焼を模索しています。「受け継がれた技術・技法を守りつつ、自分なりのオリジナルの器を作り、職人としての幅を広げていきたい」と抱負を話します。伝統の窯の火は、次代を明るく照らしています。

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(PDF 36.6MB)

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