ホーム > JoinT > vol.29

JoinT
トークネットのコミュニケーションマガジン

山形弁研究家
ダニエル・カール氏

[ プロフィール ]
1960年、米国カリフォルニア州モンロビア市生まれ。高校時代、交換留学生として奈良県の智辯学園に1年間滞在。大学在学中に再来日し、大阪の関西外国語大学で4カ月間学び、京都の二尊院に2カ月ホームスティ、佐渡島で文弥人形づかいに弟子入りする。大学卒業後、日本で文部省(当時)英語指導主事助手として3年間山形県に赴任。その後上京し、会社員を経て翻訳・通訳会社を設立し、テレビ・ラジオなどの仕事を兼務。ドラマ、司会、コメンテーター、講演活動など幅広く活躍中。

https://sites.google.com/view/daniel-kahl

山形弁の奥深さに魅せられて
方言がつなぐコミュニケーション

山形弁を話すマルチタレントとして活躍するダニエル・カールさん。
学生時代に2度の日本留学と、山形県内の中・高210校での英語指導の経験があります。
山形弁研究家の肩書きも持ち、全国各地で講演活動を行うダニエルさんに、
国や地域、世代を超えた、言葉がつなぐコミュニケーションの大切さと、山形や東北への思いについて伺いました。

初めての留学で日本の文化に興味

ダニエルさんが生まれ育ったのは、米国カリフォルニア州南部のモンロビア市。日本人移民農業の歴史がある地です。

「近所に日系人の友だちが多く、小学生の頃はよく、家に遊びに行っていました。日本の伝統的な掛け軸や扇子など、飾ってあるもの全てが珍しかったですね。世界史の授業で世界大戦や明治維新など、日本の歴史について学ぶと、ますます興味を持つようになりました」

ダニエルさんは、15歳から空手を習い始めたことで、日本への関心をさらに深めました。

「町の道場に通い始めたら夢中になって。本場でやってみたいと思うようになり、日本に行くことを考えました」とダニエルさん。そして、16歳の時、奈良県智辯学園に交換留学生として来日しました。

「言葉も食文化も違うので、最初はやはり大変でした。40年以上も前なので、先生方も外国人にどのように教えれば良いのか悩んでいたくらいです。僕は3年間ドイツ語の勉強をしていたので、外国語を学ぶコツは分かっていました。とにかく単語をたくさん 覚えるわけです。日本語も同じ方法でほぼ独学で勉強しました」

1年の留学期間に、できるだけたくさんの経験や体験を重ねたかったというダニエルさんは、自分なりの“留学生心得”を持っていました。

「食べず嫌い、やらず嫌いをしないで、何でもチャンスと捉えることです。奈良に来て初めて食べた寿司は“フナ寿司”だったんですが、臭いがとても強烈で苦手でした。豆腐は味も香りも歯ごたえもないので、美味しいと思えませんでした。ところが、当時留学生の世話をしてくれていた姉御肌の女性に『とにかく何でも7回試してみなさい』と言われたんです。トライしてみたら、フナ寿司も豆腐も好きになりました。智辯学園の先生にも、ホームステイ先のお父さんにも『何事も我慢して続けてみなさい』と、同じようなことを教えられました」

山形での生活で 積極的に方言を学ぶ

ダニエルさんはその後、大学に進学し再び日本に留学。大阪の関西外国語大学で4カ月学びました。さらに京都の二尊院にホームステイしたり、佐渡島で文弥人形づかいの弟子入りをしたりと、積極的に日本の文化に触れる生活を送りました。

大学卒業後は、日本の文部省(当時)英語指導主事助手となり、山形県に赴任します。

「任期の3年間で山形県内の中学・高校210校を訪問しました。赴任した1981年当時、僕は山形で最初の英語指導主事助手だったんです。子どもたちにとって、僕は初めて接した外国人だったかも知れません(笑)」

外国人の存在が珍しかった山形で、ダニエルさんが心掛けていたのは、「フレンドリーに接することと、丁寧な言葉づかいで話すこと」。警戒心を和らげるためのコミュニケーションの一つとして、方言を勉強しました。

「山形県の方言は、米沢市中心の『置賜弁』、山形市中心の『村山弁』、新庄市中心の『最上弁』、鶴岡市や酒田市の『庄内弁』に大きく分けられます。さらに、城下町と商人の町、海沿いと山間部などでも違います。英語指導主事助手として各地を回る中で、この地域とこの地域は言葉が似ているとか、この言葉は通じないとか、いろいろ分かってきて“山形弁マップ”が頭の中に出来上がっていきました」

所属していた山形県教育委員会は、県内各地から地域職員として交代で任に当たるため、ダニエルさんは、さまざまな方言を習得することができました。

「学校を回って覚えてきた方言を、戻ってから職員の人たちに聞くわけです。『こんな言葉を聞いたけど分かる人いねが?』って。そうすると必ず一人か二人は知ってる人がいて、方言の話題で盛り上がるんです。だから楽しみながら覚えられました」

任期を迎えたダニエルさんは、覚えた山形弁を武器にマルチタレントとして活躍します。

「平成元年にデビューし、司会やコメンテーター、ドラマ出演、観光大使など、さまざまな仕事を させていただきました。47都道府県すべて行ったことがあります」

特に講演活動は、教育・子育て・町おこし・国際交流・金銭感覚・男女共同参画など幅広いテーマで実施。山形弁を使った親しみやすく、分かりやすい軽妙なトークが評判です。講演会は多い時には年に100回近くあります。

言葉を通して文化をつなぐ橋渡しに

東北と山形愛にあふれたダニエルさん。奥さまが米沢市出身で親戚も多いことから、月に1~2回は山形に帰っている程です。東日本大震災の際は、原発事故の誤った情報にパニック状態になっている外国人に向け、メッセージを発信しました。

「当時、日本の現状を伝える海外の現地特派員があまりにも少なすぎたんです。衛生放送チャンネルでは、恐怖感を煽るようなセカンドニュースが報道され、日本が危ない!と東京や大阪から逃げようとする外国人がたくさんいました。だから『きちんと調べて報道しなさい』と説教の意味を込めて、YouTubeに動画をアップしたり、ニュースを英訳してツイッターで流したりしていました。災害時、衣・食・住の次に重要なのは、正確な情報です」

ダニエルさんは、震災発生から約1カ月、慌てる外国人に情報を発信し続けました。同時に3週間目あたりから、岩手県の山田町や福島県の南相馬市の仮設住宅に自分で車を運転して物資支援を行いました。

「震災後、西日本の方に行くと『東北はどうですか。被災地はどんな状況ですか』と、よく聞かれました。だから『大丈夫です。たくさんおいしい物があるから遊びに来てください』とアピールしているんです」とダニエルさん。大好きな山形に、高校の留学時代の友人を案内することもあると言います。

「僕が幹事になって、レンタカーで山寺や蔵王、赤湯温泉、上杉神社などの観光地をめぐりました。上杉神社は結婚式をあげた思い出の場所です。また、個人的にはJR奥羽本線芦沢駅の辺りから眺める夕景が好きです」

将来は山形で暮らしたいというダニエルさん。

「山形のどこかに資料館を作りたいと思っています。読書が趣味で、東北や日本の歴史など、日本について書かれた英語の本がたくさん揃っています。宣教師のルイス・フロイスが400年前に書いた本もあり、これは当時の日本を知る貴重な資料でもあります。外国人が日本や日本人について学べる研究所のようなものにしたいです」

ダニエルさんが描く夢は、文化や言葉の違う国や地域に住む人たちを、つないでいきます。

くわしくはこちらを
ご覧ください

JoinT
vol.29 2019
(PDF 9.6MB)

広報誌『JoinT』のバックナンバー一覧に戻る

© TOHKnet Co., Inc.

お問合せ

トークネット光

pagetop