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トークネットのコミュニケーションマガジン

ねぶた師
北村 麻子(きたむら あさこ)

プロフィール
1982年青森市生まれ。第6代ねぶた名人・北村隆さんを父に持つ、4人きょうだいの次女。会社勤めなどを経て2011年初の女性ねぶた師に。2012年デビュー作「琢鹿(たくろく)の戦い」で優秀制作者賞を受賞。

青森ねぶた祭、ねぶたに関する詳細は下記HPを参照。
青森ねぶた祭オフィシャルサイト http://www.nebuta.or.jp/
北村隆さんのホームページ http://www.nebutakitamura.com/

強い志と夢を諦めない心
初の女性ねぶた師

8月2日から8月7日まで開催される「青森ねぶた祭」。
その中心となるねぶたの制作に
2011年、初の女性ねぶた師が誕生しました。
ねぶたへの思い、これからの夢について伺いました。

衝撃的な感動の出合い

ねぶたと囃子方、跳人(ハネト)が三位一体となって街を練り歩く「青森ねぶた祭」。毎年300万人以上が訪れる、東北を代表する夏祭りです。その起源は定かではありませんが、七夕祭りの灯籠流しが変形したものと伝えられています。

ねぶたの大きさや仕様も時代とともに変化し、大型化したのは戦後から。初代ねぶた名人・北川金三郎が、ねぶたの骨組みを竹から針金に変え、蛍光灯を照明に使用。第2代名人・北川啓三は横に広い迫力あるねぶたを考案。第3代名人・佐藤伝蔵は初代、2代の技術を融合させ、表現の幅に広がりを加えました。先人の技と志を受け継ぎながら発展してきたねぶたですが、これまでは男性が活躍する世界でした。数多くの賞を受賞する第6代ねぶた名人・北村隆さんを父に持つ麻子さんは、なぜ、ねぶた師の世界へ飛び込んだのでしょうか。

「20代半ばの頃って誰でも将来のことを考えて悩む時期だと思うんですが、私自身も何をしたいか分からなくて。この先どうしようとジタバタしていました。同じ頃、父も不況の影響を受け仕事が減って苦しんでいました。そんな時に、父が制作した『聖人 聖徳太子』を見て、言葉では表現できないほどの衝撃を受けて、新しいものに挑戦し続ける父の姿に感動しました。同時に、父がこのねぶたを作るまでどんな苦労をしたのか、どんな人たちに支えられてきたのか、娘なのに何も知らないことが恥ずかしかった。そのとき父のように人の心を動かすねぶたを作りたいと思ったんです」

その年(2007年)「聖人 聖徳太子」は最高賞のねぶた大賞を受賞しました。

男の世界へ新たな挑戦

ねぶた師になることを決意した麻子さん。しかしその道は順風満帆とは行きませんでした。

「小さい頃から父の背中を見ていて大変さが分かっていたので、安易に口にできないと思っていました。父も常々『女性にねぶたは作れない』と言っていましたし」

言葉で言うより形で見せて分かってもらおうと最初に取り組んだのは、下絵を描くことでした。

「絵を描くのは小さい頃から好きでした。4カ月かかって描いた下絵を父に見せたのですが、その時まで私がねぶた師を目指していると知らなかったので、ものすごくびっくりしていましたね。それから父の制作を手伝うようになりました」

しかしそこは男の世界。最初は隆さんもスタッフもすぐには受け入れてくれませんでした。

「自分のやる気をみてもらおうと思ってとにかく頑張りました。3年目にはスタッフもだんだん受け入れてくれるようになって。ようやくスタートラインに立つことができました」

夢をつなぐチャンス

その後、前ねぶた(運行団体を先導する小型ねぶた)の制作を依頼されるようになり、2011年には初の女性ねぶた師に。翌年には弟子入り4年で大型ねぶた制作デビューというチャンスが巡ってきました。

「お話をいただいた時は、父から本格的に学び始めたばかりの頃。最低でもあと3年は修行を積みたいと思っていましたし、名人の娘だからこそ恥ずかしい作品は出したくない、という思いがあったので最初はお断りしました。でも両親が背中を押してくれたんです。母は『誰でも最初は初めてだよ』って。父はデビューまで時間がかかったという経験があったので『せっかくのチャンスだから頑張れ』って言ってくれて。不安だらけでしたが挑戦することにしました」

スタッフに頼ってしまうのでは、という心配がありましたが、修業時代に学んだことが血となり肉となり、最後まで作り上げることができました。そして、制作者という立場の苦労を実感したそうです。

「自分が制作者になって指示を出すのは、思った以上に大変でした。先のことまで全て把握しなければいけないし、頭の中がいっぱいいっぱいになってしまって。無我夢中でしたね」

デビュー作「琢鹿(たくろく)の戦い」は新人としては異例の優秀制作者賞を受賞しました。

私らしく一歩一歩前へ

「今年は大変でした。父が昨年貸してくれたスタッフを引き揚げた。親子とはいえ職人同士、一人前と認めてくれたのでしょうか。私は女性の弟子と2人で作ることになりました」

取り組んだ題材は、上杉謙信と武田信玄が5度にわたり激闘を繰り広げた「川中島の戦い」。先代のねぶた師たちが数多く作ってきた定番に挑みました。

「父の師匠である北川啓三さんが作った武田信玄の鎧や兜が格好良くて。その作品に影響されました。ただ、今までの定番とは違うものを作りたいと試行錯誤しました。2人での作業は辛かったけど、多くのことを学びました」

大型ねぶた制作2年目で、自分の作品を客観的に見つめられるようになったという麻子さん。これまでは「女性らしい作品」と評価されることが嫌だったそうですが、心に変化が現れたそうです。

「ねぶたには荒々しい武者たちが描かれることが多く、男性的な世界観があります。私自身、男らしいものを作りたかったので、女性らしいと言われると、悪い意味に受け取ってしまって。でも、いい意味で言ってくれているんだと思ったら、女性ならではの良さを表現していきたいと思うようになりました。女性のねぶた師にはまだまだ偏見があって、酷いことを言われることがあります。でも私はどうやっても男性にはなれないですしね。偏見をなくすためにもいい作品を作らないと。自分らしく表現することで女性でもできるんだと理解してもらえると信じています。そして後輩の女性ねぶた師が嫌な思いをしない環境を作っていきたいですね」

最後に、これからの夢や目標について伺いました。

「いずれは頂点であるねぶた大賞をとるのが夢です。ねぶたにも流行がありますが、それを追いかけるだけではダメ。次は何がはやるのか、先どりをする感性や自分らしい発想が大切ですね。そして何十年経ってもみんなの記憶に残る作品を作ることが目標です」

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vol.05 2014
(PDF 8.7MB)

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